~Skype&電話でお子さんの発達支援。ペアレント・トレーニングも開催~

グレーな卵、金の卵になあれ

診断名告知を避けた方がいい場合

hinamama 2014年09月29日 

障害告知と診断名告知。

 

「こういうことで困ってるよね」
「だからそういう時はこういう方法で対処するんだ」
「こういうところは人と違うので
人よりも余計にしなくちゃいけないことがあるんだ」

 

みんなと違うところがある。
自分だけ工夫しないといけないことがある。

 

こういうことを伝えるのが「障害告知」。

 

その、人と違うところに名前がついている、
ということを知らせるのが「診断名告知」。

 

ですから、親が理解してるのと同じくらい
子どもも自分の障害について
生活ベースで理解していないと
診断名を告知しても意味がありません。

 

そして、子どもに準備が出来たら
診断名告知をしてもよい。

 

その「診断名告知」を避けた方がいい場合が
昨日紹介した「発達教育」10月号に載っていました。

 

以下、引用します。

 

①保護者が本人に診断名を伝えることを
ためらっている。

 

②両親のどちらかが子どもの障害を
否定している。

 

③きょうだいの間で障害のある子への
非難や不平が多い。

 

④学校で担任やクラスメートとの
関係が悪い。

 

⑤転級、転校、進学など新たな環境の
変化の直前である。

 

⑥子どもが孤立している。
上記の6つの条件があると、
親からきちんと告知する前に
きょうだいや先生や
友達の親などの第三者の口から
本人の耳に入ってしまう恐れがあります。
そういう形で耳に入る時は、
診断名が否定的なニュアンスで伝わります。
そうすると、子どもは自分の診断名を受け入れがたく、
また自己否定の形で受け取ることになってしまいます。
ですから、まず、こういう条件がある場合は
それを取り除く作業をした方がよさそうですね。
環境を整えないと
プラスの診断名告知は出来ないのかもしれません。
よく考えればその通りですよね。
足場がしっかりしていないのに
知識だけ植えつけるのは
診断名告知に限らず、
うまくいきません。
子どもが手助けを必要としたときに
自分の手を伸ばして助けを求められるように
子どもを育てなくてはいけません。

 

そのためにはきちんと環境を整えて
足場をしっかりさせないと
告知のタイミングはやってきません。

 

適切な支援をうけるために告知は必要。
でも急いではいけない。

 

難しいです。
親自身が障害理解をすることだって
難しいのだもの。

 

でも、ここをきちんとおさえておかないと、
それこそ「親亡き後」に子どもは自立できなくなります。
ここでいう自立とは、
支援ありきの自立、です。
健常者だって自分だけの力で生きてはいけません。
診断名がある人のほうが
少しだけ多く人の力を借りないといけないだけです。
実は私もこれを書いていて
少し無理を感じています。
理論(理屈)でこれを書いています。
半分(いや三分の二かな)くらい納得して
これを書いています。
でも、私がスウェーデン人だったら
100%納得していると思います。

日本人だから三分の二なのだと思います。

なぜならスウェーデンなどの北欧諸国は
国民みんなでお互いを支えあうというのが
常識になっている国だからです。

 

でも私は日本人で日本にいながらも
スウェーデン人的発想でいこうと思います。

 

だって、ただの一人の人間に
自分以外の人の人生を引き受けることなど
できっこないですもの。
それがたとえ自分の子どもであったとしても。

 

なんだか本のご紹介から
とんでもない精神論になってしまいました。
今日はこのくらいでやめておきましょう。。。

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「子どもに障害をどう伝えるか」

hinamama 2014年09月28日 

表題は「発達教育」10月号の特集記事です。

 
とてもわかりやすくて、
ためになると思ったので
ご紹介します。

 
立正大学教授の中田洋二郎先生の執筆です。

 
今日ははじめに、
なぜ子どもに障害の告知が必要か?
という導入部分を要約してお伝えします。

 
大人が叱ったり罰したりするのは、
子どもに過ちに気づかせ反省させようとしてのこと。
ところが発達凸凹の子にとってそれは、
大人の理不尽な仕打ちとしか思えない。

 

なぜなら、
叱られ罰せられる原因となった行為は
かつては褒められ励まされていたはずだから。

 

たとえば、砂場で泥団子を作れば、
「おいしそうね」と親が褒めてくれた。
壁伝いに階段を昇れば
「がんばって」と励まされた。

 

それが「しつけ」という時期を境に一変する。

 

ご飯を手で握れば「不潔」と怒られる。
梯子を昇れば「危ない」「行儀が悪い」。

 

子どもにとってはどれも同じことなのに
しつけの時期を境に大人の態度が
まったく変わってしまう。

 

発達が通常通りの子どもは、
「叱る」という行為の裏には
成長を願う親の気持ちというのがある、など、
だんだんとその意味をくみ取っていくけれど、
凸凹の子はそうはいかない。

 

いつまでも、乳幼児期と同じように
単に好奇心や活発さに従って行動しようとする。
そうすると大人が叱る。
でも子どもはそれを「しつけ」とはとらえられない。
「大人が無理やり阻止しようとしている」
こう感じてしまうのだ。

 

凸凹のある子どもの抵抗や反抗は、
いってみると二歳児の反抗が
長引いている状態だと考えられるのだ。

 

ここからは意訳ではなく
文をそのまま引用します。(「」内)

 

「不幸なことですが、子どものこの反抗の背景に
発達と障害の特性がともに絡んでいることを
大人が理解しないとき、叱り・叱られるという
悪循環は固定化していきます。
そして周囲の大人は「手の焼ける子ども」
として子どもを見るようになり、
子どもは叱られるだけの「価値のない存在」
として自分をとらえるようになっていきます。
なぜ障害の告知が必要か、
その最初の答えは、
おそらくこの悪循環を断つために、
障害とよばれる特性から問題が生じていることを
理解することが必要だからでしょう。」

 

まず、親が特性と悪循環を理解すること。
そして、その悪循環がどんなデメリットをもたらすか。
これを理解すること。
これを理解すると
どのような支援が必要なのかが見えてくる。
どのような支援をうけたらいいのかを
親子で理解していく必要がでてくる。
子どもがその支援の必要性を理解するためには
自分の障害がどんなものであるのかを
知っておく必要がある。

 

だから子どもも自分の特性(障害)を知っておく必要があるのだ。
障害の告知と障害の自己受容がなぜ必要か。
それは適切な支援を受けるために必要なことだから。
裏を返せば、
支援のめどがない時に障害の告知をしても意味はない。
告知をした先に具体的な支援方法が用意されていないのなら
いたずらに障害告知をする意味はない。
こういうことを中井先生は書かれています。
私は、「なるほど!」と思いました。

 

次回は、「診断名告知」について続けたいと思います。
障害告知と診断名告知は違うということ、
診断名告知を避けた方がいい状況についてご紹介します。
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親亡き後はどうにもならないそうな

hinamama 2014年09月27日 

臨床心理士の仕事は密室の中。
しかも守秘義務は厳守です。

 

ですから、スーパーバイザーの先生に
日頃の臨床をチェックしてもらいます。

 

「私、ブログを始めました!」と
スーパーバイザーに言ったら、
「そんなことしてないで『臨床心理学』、
ちゃんと毎号読んでいるの?」
と言われてしまいました。

 

「臨床心理学」。

 

金剛出版から出ている定期刊行雑誌です。

 

臨床心理士たちがおさえておきたい
最新の情報や研究発表が載っています。

 

私、それまでほとんど読んでいなかったので、
そう言われてからは毎号ちゃんと読んでいます(汗)。

 

で、今年は一年を通して、
「発達障害」がテーマになっています。
読みごたえ抜群です。

 

近年ご活躍の先生方の講演のまとめも
載っています。これが興味深いです。

 

でも、専門家向けなので、
一般の方は面白くないと思います・・・
高いし。(1600円+税)

 

最新号(9月発売)は「成人期の発達障害」でした。

 

以前ブログでも取り上げた本田先生や
「そもそもスペクトラムってどういう意味?」

ペアレントトレーニングでおなじみ?の
辻井正次先生の執筆が入っています。

 

辻井先生の執筆は、
「成人の発達障害の心理臨床は
生活に活かされる支援的なアプローチでなければならない」
といったことが書かれていました。
私も日頃そう感じているので
とても共感できました。

 

その文章の中に、(抜粋です)

 

家族支援は重要なテーマです。
グループホームなど居住を含めた支援も不足しています。
そして、「親亡き後」に支援なしで
「何とかなる」場合はごく少数で、
何らかの支援が必要な場合が多数だと考えられます。

 

と書かれています。(P.621)

 

そうなんです。
何とかならないのがほとんどなのです。

 

当事者の親御さんたちは
「親亡き後」には子どもが他者の力を借りずに生活する
ということをゴールにしている方が多いです。

 

でも、それは
目標設定に無理があるようです。

 

辻井先生が言っているのだもの。
無理なんですよ。ひとりで頑張るなんて。
有名な先生がそう言うのだから
世の中も、「支援は必須」という流れになるのではないかな?

 

先生は長年、多くのケースを見てきたはず。
多くの方々を現場で支援してこられた先生です。

 

一年中支援が必要な人もいるだろうし、
普段はひとりで頑張れていて、
ちょっとしたハプニングで調子を崩して、
そういう時だけ支援が必要な人もいるでしょう。

 

「親亡き後」・・・とやっきになっても仕方ない。
みんなが支援を必要としているのだから、
もう少し肩の力を抜こう。

 

こう思った今日の読書タイムでした。

 

 

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注意欠陥型のADHDと統合運動障害

hinamama 2014年09月26日 

なかなか人目にはつかないけれど
実はしんどい「地味」なタイプをとりあげています。

 
今日はADHDの中でも衝動性や多動を伴わない
「注意欠陥型」のADHDです。

 
説明はいたってシンプルです。
ADHDから多動を取り除いた状態です。
注意の問題が主たる症状なのです。

 
限りなく、昨日紹介した「統合運動障害」に似ています。
症状のほとんどがかぶっています。

 
LD(学習障害)も限りなくかぶっています。

 
ADHDとLDと統合運動障害。
この3つのどこがかぶっているのかというと、
「視空間性ワーキングメモリ」が弱いところだそうです。

 
「視空間性ワーキングメモリ」とはなにか。

 
ワーキングメモリには厳密にいうとふたつあるそうで、
ひとつは「言語的ワーキングメモリ」、
もうひとつが「視空間性ワーキングメモリ」というのだそうです。

 
日本ではかつて「ワーキングメモリー」と呼んでいましたが、
アメリカの文献の翻訳は「ワーキングメモリ」となっています。
「ワーキングメモリ」となっている文献は
アメリカから輸入された研究なのだなあという
区別がつきます。

 

これは余談でした。

 

さて、本題に戻ります。

 

言語性ワーキングメモリとは、
読んだ内容についての記憶です。
読んだ言葉の意味、それまでに読んだ内容を
覚える機能です。

 

視空間性ワーキングメモリとは、
頭の中でひっさんをする時に使う機能です。
頭の中に計算用紙を広げて、
たして10以上になったら1をくりあげる。
くりあげた1は忘れないように
一つ上の位に小さくメモしておく。
こういった作業を頭の中で行うのが
視空間性ワーキングメモリです。

 

この機能が弱いのがさきほどあげた3つの障害なのです。

 

(LDに関しては、このほかに
読字障害や書字障害があるので、
症状にもっとバリエーションがあります。)

 

視空間性ワーキングメモリが弱い(容量が小さい)と
学習面に顕著に影響が出ます。
障害が目に見えにくい所以(ゆえん)です。
ADHD・LDと統合運動障害は併発しやすいので、
それで学習の苦手さにもいろいろいるわけです。

 
体育の苦手な子。
算数の苦手な子。
歴史が覚えられない子。
英単語が書けない子。
・・・挙げればきりがありません。

 

整理しようと思って書きましたが、
逆に皆さんを混乱させてしまいましたか?
だとしたら、ごめんなさい!

 

 

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「地味」なタイプはかなりいる・「統合運動障害」はそのひとつ

hinamama 2014年09月25日 

本に出てくる典型的な「目立つ」タイプではない。

 

もっと、「地味」なタイプ。

 

学校の先生に気づかれるほどでもないから
自分だけが、ただしんどい。

 

このしんどさは自分ひとりの戦いなので
かなりつらいし溜まっていく。

 

こういう人が以外に多いようで、
反響のコメントが多かったです。

 

そりゃあそうですよね。
「地味」で「目立たない」んですから、
きっと相当いるのでしょう。

 

少し専門的な説明をしましょう。

 

医療や教育領域の専門家は
「不器用」という言葉は軽蔑的な言葉だとして
使わないようになりました。

 

かわりに使われるようになったのが
「統合運動障害」という言葉です。

 

統合運動障害は、学習上の困難さと同様に、
運動能力の困難さが特徴です。

 

統合運動障害には多様な症状があります。
運動面では協調運動の困難さ、
(体の各所を連携させてスムーズに動かすこと)
脳から「動け」とサインを送るのが遅くなるので動きがズレる、
飛んでくるボールに気づくのも遅れるので、
視覚的に鈍感になるということもあります。

 

つまり、「運動」という名がついていますが、
動きそのものだけでなく、
脳のサインの伝達が遅れたり
動きがズレたり視野が狭くなったりするのです。
パズルの模様合わせが苦手だったり
積木をお手本通りに積み上げたりするのが
苦手だったりする。

 

これはADHDやLD(学習障害)の子どもたちと共通する症状です。

 

つまり、統合運動障害とADHDとLDは併発することが多いのです。
こういうことがらは、なかなか気づいてもらえません。
でも、このブログの読者の方々は
こういうことに気づいている方がほとんどです。
今からでも、こういう情報を仕入れて
「なるほどー、そういうことか」と納得がいけば、
次のステップも見えてくるのではないでしょうか。
いつも読んでいただきありがとうございます。

 
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地味な?タイプも困っている

hinamama 2014年09月23日 

地味なタイプも困っているんです。

 
いわゆる「埋もれてしまう」タイプ。

 
衝動性があるわけでもない。
けんかを起こすわけでもない。
人間関係のトラブルが見えない。
(これ、見えないだけで
実際はトラブルは起きているんです)

 
ただ、先生や親の目には見えないんです。
(いや、親は遅かれ早かれ気づくのですが)

 
自分以外の周りを優先し過ぎる。
自分の気持ちを出しそびれる。
自分としては反逆しているのだが、
周りが大事(おおごと)にとらえない。

 
就学前の心理相談では、むしろ
こういう「地味」なタイプを
「埋もれてしまわないように」気をつかいます。

 
小学校低学年で埋もれてしまったら、
困っていることに気づいてあげられるのが
へたをすると中学生くらいになってしまいます。

 
そうなると、支援が難しくなってしまいます。
なにより本人が
「なんで今更特別扱いされるのか?
自分は異常なのか?
ありえない!
障害児と一緒にされてたまるものか!」
となってしまうと
支援がしにくくなるのです。

 
「地味」「問題を起こさない」
というのもとてもとても難しのです。

 
「今のところ大丈夫だから」と思わずに、
子ども本人が困っていることがあったら、
必ず、助けを求めるか、
味方を作ってあげてくださいね。

 

 

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家でもSSTはできる

hinamama 2014年09月20日 

SSTとは「ソーシャル・スキル・トレーニング」のことです。
言葉の通り、
「社会生活に必要なスキルを身につけるトレーニング」
という意味です。

 

一般的には小グループで行います。
目指したい行動(出来るようになりたいこと)が
出来るようになるには
具体的にどうしたらいいのか。
あるいは、
こういう時どうしたらいいの?という場面で
いつもしてしまう行動の代わりに
どんな行動をすればうまくいくのか、
といったことを学ぶのです。

 

お互いに意見を出し合ったり、
ロールプレイを交えたり、
シェアリング(感じたことをシェアする)をして、
行動の改善をはかります。

 

発達凸凹の子、特にコミュニケーションが苦手な子には
とても有効なトレーニングです。

 

多くは療育場面でそれを受けることができます。
でも、それをやっているところは少ないし、
なかなか参加するチャンスはめぐってきません。

 

でもね、家庭でも出来るんですよ。
親子の一対一のトレーニングになりますが、
SST的なアプローチは家でも出来ます。
たとえば、友達とけんかをして帰ってきた時。
友達と遊んでいて、ばかにされたり仲間外れにされた時。
「やられたやり返しな!」
「あんたがやられるようなことを
何か言ったんでしょ!」
「今度同じことがあったら、先生に話してみるわ」
そうなんだけど、それじゃあ親の言いっぱなしです。
本人が原因を理解して対策を考えないと
改善は難しいのです。
言いっぱなしにせずに、
「もし、かわりにこういう言い方したらどうだったかな?」
「かわりにこうすれば良かったんじゃない?」
「かわりにこう言うことは出来ると思う?出来ないと思う?」
もし、こんなやりとりを加えることが出来たら・・・
もうそれは立派なSSTだと思います。

 

 

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三島由紀夫に言わせるとアスぺは

hinamama 2014年09月17日 

三島由紀夫の「女神」という小説を
読みました。

 
女神のような妻を
より美しくするために
情熱のすべてをかけていた男。
空襲で妻の顔が醜いやけどを負った途端、
夫は態度を急変させます。
こわーい、そしてエキセントリックな話です。

 
さて、三島由紀夫のその男の描写が
興味深いのです。
「必要なことだけに敏感で、
不必要なことにはまるで無神経でいられる
実業家気質とでもいうほかなかった。
少しおべっかを使えば、
一種の『英邁(えいまい)な気性』なのである。」

 

※英邁=特別に才知が優れていること。

 
この男は、自分が関心のあること(女性の美)
には細心の注意をはらい知恵を尽くして
病的なまでに打ち込むけれど、
自分の関心のないことには
とんと無頓着で子どものような人なのです。
そして身分は最高級。経済界の大物なのです。

 

そういうのを三島は「英邁」と表現しています。
こんなに病的で偏った男を「英邁」だなんて!

 

今の時代だとアスぺって呼ばれるのではないか?
「アスぺですね、チャンチャン」
と解釈して終わってしまいそうな・・・

 

そう考えると、
「発達障害」「アスペルガー」「ADHD」などの言葉は、
人の言語能力の低下を促しているのではないか。

 

スマホが普及して便利になったことで
人間があまり考えなくなって
愚かになっているのと同じように・・・

 

「発達障害」の用語は
スマホと同じような負の効能があるのではないだろうか!

 

三島由紀夫の時代も、
夏目漱石の時代も、
「発達障害」という言葉がありませんでした。
発達の偏りを「気性」と表現し、
色々な形容詞を組み合わせて
それは豊かに描写していたのです。

 
「発達障害」をはじめとする
自閉スペクトラム症の研究や分類が
普及するほどに
文化、文学までもが退化していくのではないか。

 
退化とまでいかなくても
文化は味気なくなっています。

 
なんだか「発達障害」という言葉を使うことが
「あけおめ」とか「やばい」とかいうのと
同じことのように思えてきました・・・

 
簡略化。効率優先。合理化。

 
文学の簡略化は
まちがいなくコミュニケーションも簡略化します。
コミュニケーションの簡略化が
文学の簡略化を生んでいるのかもしれない。

 
そういえば、
芥川賞を取った若い作家のエッセイの
その口語体がいまどきすぎて
不愉快な気持ちになりました。

 
なんだか、とても、とても、
さびしいです。

 

 

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文化祭のシーズンですね

hinamama 2014年09月14日 

お子さんの文化祭はいつですか?
中学校も高校も、
今週から10月にかけて開催されます。

 
さまざまな子がいます。
楽しみにしている子。
嫌で休みたいと思っている子。
まったく関心のない子。

 
ダンス部、演劇部や、
美術部などの文化部の出番です。
でも、そこに所属しているからって、
文化祭が楽しみだとは限りません。

 
他に入るところがないから
文化部のどっかに入っとくということもあるし、

 

本当は軽音部に入りたいけれど
大きい音に耐えられないからあきらめたとか、
本当は吹奏楽部に入りたいけれど
厳しいスケジュールについていけないから
部活がほとんどない卓球部に入ったとか、
本当はどこにも入りたくないけれど
親が入らないと許してくれないとか、

 

凸凹な子どもたちには
いろんな事情があるのだろうなと
思いをはせています。

 
こういう行事があるたびに
切ない気持ちになります。

 
またまたブラックな気持ちが顔を出したりして、
いきいきと楽しそうにやっている子を見ると
うらめしくなったりします。
もう、「種(しゅ)」が違うんだ!
なんて思うようにしたり・・・

 
でもね、子どもたち、
嬉しくないという「負」の経験も必要なのだと思います。

 
うちの学校はクソだ、
友達の学校がうらやましい。
みんなはなんであんなにクラスの和だとか
団結とか言って高笑いしているのだろう。
いいなあ。
うらやましいな。
いつか真似したいな。

 
面白くない「負」の経験が
そういうプラスな気持ちに変換してくれたら
いいなあ、と思います。

 
「負」の経験は「痛い」経験。
「痛い」思いの方が
人間成長できると思うんですよね。

 
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療育でお土産をもらって帰る理由

hinamama 2014年09月13日 

いただいたコメントの中に、
発達障害の分野では
大変著名な先生である
杉山登志郎氏の本からの引用がありました。

 

月に何度か専門家に指導してもらっても、
日常が放置状態だと効果は上がらない・・・
ということを言われています。

 

やはり、療育は日常に活かしてこそ
効果が出るのです。

 

もちろん、月に何度か通うだけでも、
それだけ普段経験できないことを経験できるので、
子どもにはとても刺激になるし、
対人関係のスキルを学ぶことはできます。

 

でも、母子で通ってもらう療育には
もっと深い意味が込められているのです。

 

さっそく私も杉山先生の本を
本棚から出して検証してみました。

 

以下、「発達障害の豊かな世界」(日本評論社)
からの抜粋です。(P.219)

 

(なぜ母子通園が好ましいかという理由について)
「基本的な対人関係の構築を行うのであれば、
保母(親でない他者)とよりは
できるだけ実際の母子の間のかかわりが進むことが
好ましいことは明らかである。
お互いが付き合えば付き合うだけ、
互いのことがわかってくる。
母子がお互いを知ること、
特に母親が子どもの限界についても
正確に知っていることが
子どもに対して適正な教育を選択するうえでも
不可欠のことである。」

 

専門家が指導しているのを見ながら、
真似できることは母親がやってみる。
他人がやるよりも母親がやるほうが
子どもに深くしみこむってことなのだと思います。
そして、子どもを深く理解することで
療育が終わった先で
正しい進路選択ができるのです。

 

子どもと一番長く一緒にいるのは
母親ですから、
お母さんがお子さんの一番の専門家なんですよ。
また、杉山先生はこう書かれています。(P.220)
「早期療育において最も大切なことは、
実は子どもの療育ではなく、
障害児を抱えた母親を支えることである。」
20数年前よりも自閉症が軽症化されているといいます。
それは、療育によって、母親を支えてきたことが
大きいのだというのです。
療育でお母さんも支えてもらってください。
「こんなことしてた、こんなこと言われた」
で終わらずに、
お土産をもって帰ってください。

 

コメントをくださった秋月さんの言葉をお借りして、
「<療育の日常化>こそ、お父さんお母さんの出番」
なのです。

 

 

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